団塊世代必読「不良中年二人連れタイ旅行記」 タイでロングステイはいかが?    《信州ネット.Com》

10.メランコリック・パタヤ

 時間はすでにお昼に近い。バンコクの町の渋滞はもうとっくに解消し、都心の大通りをクルマはをスイスイと走り、高速道路に乗った。日本の高速道路と比べても全く遜色の無い設計で、多少殺風景な感じを覗けば、相変わらずの日本車ばかりの道路は異国情緒を感じさせてくれない。乗っている車も日本車だし、運転手との会話が英語で、その分の身構えはあるが、それ以外は外国にいると言う緊張感も無い。時速110キロ前後でクラウンは疾走する。それをもっと速いスピードで追い越して行くサニーやカローラも多い。ごくまれに、見たことも無い古い錆びだらけのトラックがゆっくりと走っていることもあるが、ほとんどのクルマがきれいに掃除されていて、これも日本と変わらない。どこまで走っても道路は平坦で、山らしい山が無く、ズーッと遠くまで見渡せる。所々に灌漑用らしい大きな池があり、その池から細い水路が延びていて、広い水田を区切っている。集落の回りには狭い小道が走っているが、道路より水路の方が多い。
 
 日本だと車上から見える森や林の木々は、杉だったり松だったりの常緑樹か楢や椚の落葉樹だが、タイでは椰子の木が多い。椰子の木にも色々種類があるようで、海岸線で見る椰子の木と、内陸部で見る椰子の木はどうも違う種類のようだ。バンコクの市内を出て郊外の高速道路を走っているのだが、見えるのは水田と池と椰子の木と小さな集落だけ。しばらく走って行くと、遠くに大きな工場群が見えてきて、そこからニ車線の立派な道路がこちらへ向って一直線に伸びている。俗に言う産業道路のようだ。道路を走っている車もほとんどが大型トラック、乗用車は少ない。それにしても広い平野で、見渡す限り、地面に凹凸が無い。緑一色なので、アメリカやオーストラリアの平原とは少し違う。ヴェトナムのメコンデルタもこんな風なのだろうか。次はヴェトナムへ言って見たいと思っている。

       【 目 次 】
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  1.初めてのバンコク
  2.シーフードレストラン
  3.ナナ駅界隈
  4.大都会バンコクの怖〜いお話
  5.チャオプラヤ川とお寺
  6.日本人居住区
  7.パッポン・タニヤ
  8.朝市
  9.ホテルの朝食
 10.メランコリック・パタヤ
 11.別荘キット
 12.空港とタバコ
 13.暗くなって到着プーケット空港
 14.カタビーチのホテル
 15.パトンの夜はやっぱり怪しい
 16.コンシェルジュ
 17.ビーチ
 18.真昼のプーケット
 19.カタビーチ商店街
 20.プーケットファンタシー
 21.プーケット最後の一日

 「平らですね〜。山が無いですね」。「でも、高速道路は凄いですね。よく整備されていますね。北の山岳部へ向う道路もこんなんですかね?」。「バンコクも不景気とは言いながら、日本とは違う勢いみたいなものを感じましたよね」。「やはり、これから日本に追いつこうと言う意気込みが違うんでしょうね」。「JAPAN Is No.1と言っていましたもんね」。「クルマだってアメ車はほとんど見かけませんでしたね。ベンツはEクラスまでだし、BMWも5シリーズより大きいのは無かったですね」。「日本車でもクラウン以上のクルマは少ないですからね。セルシオなんて一台も見ませんでしたよ」。「ボルボは多かったですね」。「でも、タイの人はなかなか親切ですよね。市場のおねえさんだって言葉はわからなくっても、親切にしてくれましたよ」。とりとめも無い話をしながら車に揺られていると、少し眠くなった。いつのまにか会話は途切れて、少し早い昼寝タイムとなってしまった・・。

 目が覚めると正面に山のようなこんもりとした林が見える。ようやく地面に凹凸が現れた。山には椰子の木が林のように生えている。その山を境に、低いが起伏のある地形がしばらく続き、高速道路の標識は「パタヤ 50Km」と、パタヤが近いことを教えてくれる。太陽はもう真上に昇り、外は相変わらずの暑さ。エアコンの効いた快適なドライブだが、赤道直下の日差しは強烈だ。高速道路を下りて干からびた砂埃が舞う地方道路を走る。両側にはトタンで屋根を葺いただけの小さな小屋が点々と立っていて、おばさんが頬かむりをしてフルーツを売っている。でも、止まってフルーツを買う車は見えない。暑いのに大変だ。日本の地方の国道沿いにもよくある光景。舗装はされているが路肩には土が見えている道路は、クルマが走ると砂塵が舞う。道路の両側は畑だ。道路がカーブしているところにはたいていドライブイン風のトラック向けらしい食堂があり、数台のクルマが止まっている。それ以外には何にも無い道路を20分ほど走ると、突然道幅が広くなり、両側に小さな町工場や商店が見え出した。いよいよパタヤだ。それにしても、パタヤの入り口は、リゾート地とはかけ離れたイメージ。さばくの中に突然現れた駅馬車の町みたい。片側三車線ほどの広い道路には信号もある。「アッ!」運転手が突然叫んだ。信号を右折しようとした二人乗りのバイクに直進しようとしたブルーバードが接触した。バイクは転倒し、乗っていた二人は道路に投げ出された。そこはちょうど交番のまん前。中からおまわりさんが飛び出してきて倒れているバイクの二人を助け起こした。腰をさすりながらむくっと起き上がったバイクの運転手は、ビッコを引きながらバイクのところに歩み寄ると、バイクを路肩まで引っ張っていった。タイの交通事故の処理はどんな風かは知らないが、聞くところによると、大金持ちは警察にコネがあり、その上、クルマ優先社会なので、歩行者をはねてもほとんど罪にならないらしい。それどころか「おれのベンツに傷つけりゃがって」とすごんでおしまいなんて事もあるそうだ。タイで事故を起こしたら、弱者は十分に補償をしてもらえそうに無い。特に歩行者に甘い環境にいる日本人には注意が必要だ。
 そんな事件もあったが、クラウンは砂埃の町並みを抜けて、パタヤの町の真中へと向った。大きなスーパーの建物もあり、意外に繁華街。ここら辺りにはリゾート客はいないが、地元の人達でそれなりに賑わっている。大通りを右に折れると狭い道の向こうにようやく海が見え出した。右側が海岸で、左側には商店やホテルが並ぶ。ずーと向こうまで、長い海岸線が続き、その海岸線に沿って町が形成されている。通りが狭いので、クラウンは速度を落としてゆっくりと進む。昼下がりのビーチリゾートなのだが、人の姿はまばら。砂浜にはカラフルなパラソルが風にはためいているが、日光浴をしている人も少ないし、海には人の姿は無い。シーズンオフとは言え寂しい光景だ。左側には、バンコクのナナで見た、オープンカウンター式のバーがホテルや土産物屋と混在しながら並んでいる。と言うより、バーの列の中の所々にホテルやその他の店があると言う感じで、バーの件数はずいぶん多い。H氏の店も多分この中の一件だろう。Tシャツに短パン姿の色の黒いおばさんが、ひまそうにボケーッとこちらを見ている。昼でも一応営業中なのだ。

 20年ほど前のベトナム戦争の真っ只中、休暇のアメリカ軍兵士達の保養施設としてパタヤは開発されたという話しを聞いた。給料をもらっても戦地では使うことも出来ないし、故郷から遠く離れた土地で、自分には何の関係も無い無意味な戦争に、命を掛けて戦って来た兵士達は、心も体もボロボロだ。それを癒すために、現地の女性がその手の商売に狩り出されたのが今の連れ出しバーの前進だろう。それがバンコクやプーケットに伝わって、ゴーゴーバーやカラオケバーに姿を変え、東洋一の大歓楽街を形成する事になったと思われる。30数年前の日本の基地の町も同様だった。沖縄や横須賀などでも、いかがわしいバー等がたくさんあったらしい。横浜の中華街の入り口にもあって、酔った米軍の兵士が、赤く髪を染めた日本人のホステスの肩を抱きながら、紙幣に火をつけて大騒ぎをして燃やしているのを見たことがるあ。日本のあちらこちらの基地の町がその当時のパタヤと同じ状態だったのではないだろうか。ベトナム戦争が終結し、アメリカ軍の兵士の変わりに、経済力をつけた日本の農協のおじさん達がリゾートのリの字も理解せずに、旗をたててぞろぞろと買春旅行に出かけたものだから、しばらく前までは、日本人の旅行者は東南アジアのどこへ行っても現地の人達のひんしゅくを買っていた。最近でこそ、そんな団体ツアーも無くなったが、日本人として情けない!などと言う立場に無いことは百も承知。しかし、日本でも外国でも、男と女の間には必ずこういった職業が存在する。買い手がいなければ成り立たないのは当然としても、商売は売り手がいなくても成り立たない。鶏が先か卵が先か。世界最古の職業を語る時、思考回路はどうしても哲学的にならざるを得ない。

 ところで、タイの夜の世界での最近の嫌われ者の1位がアラブ系、2位が韓国系、3位が台湾・香港・中国本土の中国系だそうだ。日本人は一挙に汚名を挽回?してドイツや北欧の国々と肩を並べて好きな国のトップ争い。宗教や国民性や肌の色から、「JAPAN IS No1」の呼び声も高い。アラブ系が、嫌いな国のトップにランクされている理由は、「ケチ」・「金を払っているからとむちゃくちゃ無理を言う(どんな無理かはご想像に任せます)」と言うことらしい。最も、日本人は言葉の問題もあって、無理難題は言えないし、お金を値切ることも出来ない。どちらかといえば「おとなしくて扱いやすい」と言う事だろう。

 H氏にもらった名刺を日本に置いてきてしまったが、H氏のバーは「ロイヤルガーデンホテルの隣りだよ」と教えてもらった記憶がある。名刺の裏には地図が書いてあって、大体の位置関係は憶えているので、現地に来て見ればなんとかなるだろうと安易な気持ちでやって来た。ロイヤルガーデンホテルはタクシーの運転手が知っていて、想像していたよりもずっと大きくて立派なホテルだ。一階には近代的なアーケード街があって、かなり高級なショップも出店している。この辺りなら最高級ランクだろう。地下の駐車場へ車を入れて、取りあえずホテルのアーケードへ入り、日本とそっくりのファミリーレストランで昼飯を食いながら対策会議を開くことにした。パタヤ自体がもっと小さな町だと思っていたし、これほど多くのバーがあるとは思わなかった。すぐ近くまで来ていることは確かだが、果たしてH氏のバーが見つかるかどうかはわからない。まあ、見つからなくてもどうってことは無いのだが。

 遅いランチを済ませて、ビーチとは反対側の出口から大通りへ出た。こちらの通りにもやはり同じようなバーがある。ロイヤルガーデンホテルの隣にはあのホリデイイン、反対側の隣もホテルだ。な・な・なんだアレは!。ホテルの建物の上の方に真っ赤なセスナが突っ込んで、壁にめり込んでいるではないか?。「タイ人は思い切った事をするな〜。9月11日のワールドトレードセンタービルの事件をこんなところでパロっている」。工事費用もこれだけのスケールになると少なくはあるまい。遊び心でこんなことをするタイの人のユーモアに敬服した。運ちゃんをタイ語の通訳にして、取りあえず同業者に当たって見ようと、ひまそうにカウンターに腰掛けている、見るからにこの業界が長そうな、とあるバーのおばさんに聞いてみた。「ママの名前はなんて言うの?」。「わかりましぇん」。「いつからやってるの?」。「2〜3ヶ月前から。日本人のスポンサーがいるよ」。「日本人はいつも店にいるの?」。「いや、ずーっと日本にいてここには居ない。店の名前はロイヤルだけど」。「バービアに店の名前なんか無いよ」。「エエっ、店の名前無いの?」。「あっても、店の名前なんかだれも知らないし、聞いたことも無いね!。それだけじゃあ、イッパイイッパイあるからわかんないね〜」。とつれない返事。他の同業者にも、コンビにやお土産物屋にも当たって見たが、やはり「イッパイあるからね〜」と言う返事。どうしてもというわけでもないし、クソ暑いので、「もうやめた、見つかっても、留守番のおばさんに会ったってしかたが無いもんね。」と適当なところで諦めた。

 ところで、タイの外来語は面白い。たとえばメーター付きのタクシーなら日本では「メータータクシー」と呼ぶ。ところがタイでは「タクシーメーター」。なにか、メーターを作っている工場で、水道メーターやタクシー用のメーターを区別するような呼び方だ。それを、くだんのバーにも当てはめてしまい、「バービア」と呼ぶ。日本流ならきっと「ビア・バー」となる筈だ。そこで、バービアの定義。入り口がオープンでカウンターばかりのバー。一件のお店の中では、カウンターごとにオーナーが違っていて、それぞれ独立して商売をしている。お客側では、オーナーが違っているなんて事はわからないが・・。飲み物はビールをはじめ、簡単なカクテルや3〜4種類のソフトドリンク。飲み物の値段は安い。カウンターの中には必ず何人かの女の子がいて、「シャチョー、コーラコーラ」とねだって来る。「OK・OK」とその子におごってしまうと後が大変。「ホテルでマッサージXXXXバーツ。OK?」とオッパイを押しつけながら怪しくせまってくるのだ。飲み物を持ってきてくれる女の子でも、カウンターの中にいる女の子でも、留守番の鬼瓦みたいな顔をしたおばさんでも、この店の中の女という女はぜ〜んぶその類い。貧しいタイの北部から、貧乏な女の子をかき集めてきて、女の子には固定給はほとんど払わずに安い歩合給で客を取らせると言う、戦時中の日本の置き屋のようなシステムらしい。華やかで近代的な大都会の影に隠れて、山岳部ではまだ何十年も前と同じような生活をしている人もいると聞く。急激な発展を遂げたタイだが、暗い面にも光を当てなければならない。な〜んてらしくない立派なことを言ってしまった。言うこととする事は全く違うんです、ハイ。ごめんなさい。

 不案内の土地ながら、色々と歩き回った。ただ、シーズンオフだとは言え、あまりの静けさに拍子抜け。たまに北欧系と思われる白人の老夫婦が歩いているが、ビーチも閑散としているし、お店にもお客はいない。H氏のバービアも多分同じだろう。夜にでもなればもっと人出があるのだろうか。少々心配になってくる。この辺りのハイシーズンは11月から2月頃だとH氏も言っていたが、いくらなんでもこれで商売が成り立つとは考えにくい。日本でも「パタヤ」と聞くと、ちょっとメジャーから外れているようなイメージがある。最近の人気は、タイのビーチではプーケット・サムイだ。強烈な太陽の光だけが遠慮無く降り注ぐ、一時代前のアメリカンなリゾート地パタヤとはそろそろお別れ。我々はもう空港へ向わなければならない。地下の駐車場から車を出して、再びバンコクへ向けて出発する。

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タイ・チェンライでロングステイ!年金でだけで暮らせる夫婦で一ヶ月10万円楽園生活「シヴィエンリゾート&スパ」

 海外でロングステイ(長期滞在)と言うと、何か特別なことのような感じを受けられる方が少なくありません。「ビザはどうする?」・「病気になったら?」「言葉が通じないのでは?」など、不安要素が少なくないからです。しかし、もっと気楽に考えられないものでしょうか?。「一週間の海外旅行を一ヶ月に延ばしてみる」程度の感覚でも良いのです。
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ページ作者のタイ3都市巡り「タイでロングステイも悪くない」

 2006年5月9日から16日まで、8日間の予定でタイへ行ってきました。タイでは多くの方々がロングステイを楽しんでいらっしゃるらしいのですが、今回の旅は、そんな方々に直接お会いして、「本当に幸せな生活をされているのかどうか」の生のお声をお聞きするのが目的でした。コラート→バンコク→チェンマイと3都市を回りましたが、日本人のロングステイのメッカはやはりチェンマイ、特にチェンマイで暮らしておられる方のお話しを聞きたかったのです。画像で綴るタイ旅行記、是非お楽しみ下さい。
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